ローズルシュミット先生について




ドイツバイエルン州立音楽大学のピアノ科教授でした。

とても太っていらして、バストが大きくてピアノの鍵盤が見えないのではと思うほどでした。 お部屋に晩年のブラームスがピアノを弾いている絵がかかっていましたが、似たような感じです。 でもお洋服やお家のインテリアや持っていらっしゃるもののセンスが 光る方でした。例えば彼女の持っていた傘を思い出します。傘の骨で区切られた、セクション毎に色が違う傘でしたが、色が渋みがあってとてもシックでした。ドイツ人は全体に抽象的なセンスをしていると思います。オペラの舞台美術でもあっと思うほどばっさりしていて潔いというか、不思議なセンスだと思う事もありましたが、彼女にもそのシックさがよく合っていました。
性格としては、一言でいうと頭の回転が鋭く、かつユーモアに溢れておいででした。
1973~1978 亡くなられる直前まで師事していました。
日本のピアニストで彼女に師事した方はとても多く、亡くなられたときの 新聞の記事でヨアヒム・カイザー氏は日本人ばかり教えたと書いていて いやだなとも思いましたが実際そうだったと思います。
一番若い教え子でも私より数才下の方でおしまいでしょう。
ヨーロッパ中で一番恐い先生で有名な方でした。
卒業試験やコンクールの審査で、自分の生徒でもないピアニストの演奏が、聞くに耐えない場合、 その場ではっきりおっしゃったりして、よく物議をかもしておいででした。
おかしかったのはこんな事をおっしゃった事です。「私の弟子は皆とても早く結婚するのよ。
何故かしら?わからないわ。」それを聞いていて私たち弟子たちは納得せずにはいられず、笑ってしまいました。ローズル先生だけが自分の厳しすぎることに気が付いていないとしたらやはりおかしい事でした。
少なくともとても熱心な方なのです。
昔音楽の友のインタビューに答えていらした内田光子さんの記事で ヨーロッパの名ピアノ教師の一人にローズル先生を挙げていただいていたので、 嬉しかったです。
ご主人は建築家で温厚なやさしそうな方でした。
確かお嬢さんがいらして演劇をされていたと思います。
先生のお話では2人お子さんがいらしたのですが、ピアノの下をはいはいしていた頃 かえって演奏活動が本格化したとおっしゃっておいででした。
耳がとてもよい方で、正確であることにすごいこだわりをお持ちでした。
付点のリズムや三連音符が我々日本人が考える正確さとは違う感性で ヨーロッパの文化に根ざした正確さである事を教わったと思います。
演奏の動きについても決して妥協の無い方でしたので、 例えば一小節の全ての音と音との間の関係について、徹底的に直されました。
先生が弾いて下さるのは素敵でしたが、すぐに全く同じに弾けないと、 火山の爆発のように憤られてあらゆるドイツ語による罵詈雑言と供に できるまで何度も繰り返させられました。
彼女に師事することは、ありとあらゆるチェックを受けるという意味ですから、 自信を失いがちではありますが、逆にだれでも生徒として受け入れたわけではなく、 彼女がmusikalish(音楽的)とかbegabt(才能がある)と信じない場合は お断りしていたようです。
これは他の先生方にも大体共通していたと思いますが、伸びないと思う生徒を 取ろうとはしなかったです。
プロの音楽家を育てる教師としては本人の信念は大事だと思います。
テクニックと日々の態度?!については厳しいご指摘を受けておりました私も 音楽的には彼女と一致していたので、至福の時も共有いたしました。
彼女のシューマン、彼女のバルトークが特に好きです。バルトークを弾くときの 音は前述の抽象的なセンスが光って、ゾクッとしたものです。
シューマンやショパンでは彼女に聞こえてくるそれら作曲家の音の趣味を 多く味わえました。
私が弾いて、大抵は大騒ぎで叱られていましたが、手放しで誉めてくださるときも ありました。そしてその意味もよくわかっていたので嬉しかったです。
まだ人間的に幼すぎた私は亡くなられてから、もっと多くのことを先生から受ける事が できたはずなのにと、とても悔やまれました。
ただ晩年の何度も手術を受けられてから、静養されておいでのところへ最後におみまいに 行けたとき、先生との距離がずっと近づいてお話できてよかったなと思います。
チョコレート味のお薬とバナナを半分しか召し上がれない状態で、この甘さが つらいと嘆いておいででした。ご主人を先に失われて、一年後に後を追うように 亡くなられました。
私の長男が生まれたときにいただいた、黄色のタオル地のあひるが懐かしいです。
「歌を沢山うたってあげなさい!」と確固としたアドバイスも頂きました。
その息子ももう25歳になります。

2003/9/7