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| 昔のチャイコフスキーコンクール | |
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| 昔、ドイツに住んでいた頃は私自身もいくつかの国際コンクールに出場しましたし、聞くこともたくさんありました。自分が良いと思った人が通るとも限らず、意外だったりうなづけたりしました。 ひとつ言えることはその土地の伝統があって、聴衆には確固とした価値観があるように見受けられました。特にその土地の出身の作曲家の名前を冠したコンクールであれば、住民の方々の自負、プライドはかなりあると思います。 近年行ってきたショパンコンクールもただの国際コンクールから、ポーランドのコンクールにまさに変身している最中を観てきた気がします。 もう今から20年近く前に、桐朋を立ち上げた中のおひとりの大御所の作曲家の先生からチャイコフスキーコンクールを聴きに行ったときのお話を伺いました。ご本人はとても確固としていることで有名なかただし、ご尊父は数学者でいらして海外在住の経験も長い方でした。その方をして言わしめたのが、やはり日本人には西洋音楽はわからないという言葉でした。 チャイコフスキーコンクールの審査発表の時に聴衆の方が立ち上がって異を唱えたのだそうです。 ずっと前のチャイコフスキーコンクールですから、共産主義で皆貧しい方が多かったし、みなりも良くなかった方だそうです。でも堂々とおかしいということを主張されたとのこと。 その先生は日本人にはそこまで自信を持っておかしいという根拠が体の中にないと、思われて衝撃を受けたそうです。 だいぶ日本もグローバル化して変わってきていますが、本当に自分の中にあるもので判断しているでしょか。 そういう聴衆が多いと演奏家は励まされ、大変良い進化を遂げることができるのですが。 | |
| 絶対価値観と相対価値観 | |
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| 絶対音と相対音という音の違いと同じように、絶対価値観と相対価値観があると思います。 たとえば服飾品でいうとブランドは相対価値観。社会が良いとするものを自分も認める。対して、絶対価値観だったら手作りのものとかノーブランドだけど上手にコーディネイトするとか。 音楽の演奏解釈にもそれに似たことが起こると思います。 それでも地球は周るといったガリレオのように、誰にも影響を受けずに自分の耳で、感性で受け止める場合が絶対価値観。 回りが(その都市が、地域が、学校が、組織が)よしとする音楽解釈、基準を持っていつも判断する場合が相対価値観。 伝統と呼ばれるものには相対的な価値観の受け継がれもあるのだけれど、ある天才により披露され永遠の光を放つ芸術は絶対価値観を人々に出会わせると思います。 好きなことをやろうとするとき、相対価値観よりも絶対価値観を求めているんだと思います。 | |
| 本当に好きなこと | |
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| 自分がやりたいことが本当に好きなことなのか見分けが大切だと思います。 何の分野でもそうなのですが、好きでやっているのか、それとも実は違う理由だったりすると悲しいことが起きるのだがと心配になるのです。 音楽の世界で見てきたことを例にしてお話したいと思います。 誰でも自分が何かできることはうれしいと思います。誇りにもなるでしょう。 でもほめられたいためにやっているとしたらちょっと悲しいことになるのです。 音楽に限らないけれど、何でも自分の能力を表す目安がほしくなったりします。 そしてそれがまた気になったりします。拍手をたくさんしてもらうと元気も出るし、励みになると思います。でも本当に好きで始めたことであればその目安は必要でも必ずなくてはならないものではない。ひょっとしたら誰にもほめられないかもしれない。「へたの横好き」状態でもしないではいられなかったら、好きなんだと思います。 またほめられたことが大きな原動力になることもあります。先生や回りの人からの応援の言葉はすごいパワーになることがあります。 でも、大事なのは自分がどう感じるかです。 名誉心や何かプライドのようなもので始めていると、いつもほかの人のことが気になってしかたなくなるでょう。目安として見える結果についてもライバルのことが認められなくなって攻撃したくなるかも。 そんな例をたくさん見てきました。 一生懸命練習するのは素晴らしいけれど、褒められるためではない。自分がそうしたいからですよね。 ほかの方がどんな演奏をしても自分のものさしで評価してよいと思いますが、自分自身に影響してはならないと思います。 芸術全般に言えることですが、オリジナリティが何より大切だと思います。芸術全般に言えることその2ですが、大事なのは本当の価値観を育てることです。それは好きだったらきっと求めていくことでしょう。 良い音楽は人を感動させ、幸せにします。 素晴らしい超絶技巧の演奏でやんやの拍手。でもちょっと待って。本当に素晴らしい演奏でしたか? 心に響きましたか?幸せな気持ちで帰れますか? | |
| つづき | |
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| 黒柳徹子さんが元気なのは好きなことしかしないと決めているからと書いていらっしゃいましたが、すごいなと思います。 好きなことって本当はなんだろうって思いません? とりあえず、私は音楽が大好きだし自分が演奏したり人と合奏したり人の演奏を聴いたりするのが好きです。でも、テンポがおかしかったり、リズムがへんだったり、音程がおかしいと生理的に不快感がつのってしまう、、、もっとルーズに音楽を楽しみたいのに自動的にチェックが走ります。 もっと敏感なのがその人の音楽の姿勢というかメッセージについて。楽譜通りでも音が汚かったり何も表情のない、伝わってこない演奏にもどうしても体が固くなってしまう反応が出ます。 職業に音楽を持つってことはそういうことが付随してしまうんですよね。ちょっと不自由です。 このごろはピアノも好きな人だけが弾くような傾向になったからよかったなと思います。昔は親ごさんの意思で弾いている方がそれはそれは多かったですから。 ピアノに限らず芸術にかかわる分野は、まず本人が興味があるかどうかが一番大切だし、本人が義務感でやっていたらある意味拷問のようなものだと思います。 どんな分野でもそれは言えることなので、時代は変わったしやりたいことをやるので良いのではと思います。 それが許される、日本は恵まれた国ですし。 | |
| 日記を再開します | |
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| ずっとお休みしてましたけれど、またというか今後はできるだけたくさん書いていこうと思います。 今日は人生のやりたいことについて 皆さん人生の進路はどうやって決めましたか?決めようとしてますか? 自分の得意科目から理系とか文系とか。 そして大学に入ってからもまだ模索を続け、卒業して就職してと進んできますよね。 本当にやりたいことやってますか? 最初はこれではなかったとか、これがやりたかったとか思いながら日々を過ごすと思いますが、人生が長くなると不思議にいつのまにかやりたいことをやっているようになると思いました。 いや、自分は今仕方なくこの仕事をしているとかこの勉強をしていると思っている人もいると思いますが、ちょっと自分を振り返って何に自分が興味があるのだろう、何をしているとき楽しいのだろう、やりがいがあるのだろうと考えてみるとよいと思います。 気になってたり、結果関わっていることがあったらそれを大事にするといいなと思いました。 私自身のことを言えば、人生いろいろありましたけれど音楽が何より頼りになっています。好きなんでしょうね。好きなことをして仕事にするのは理想とか思うかもしれないし簡単ではないことですが、できるだけしたいことを見つける努力が大切なのだと最近思いました。 長いこと生きていて振り返るとあれ、やっぱりこれ好きなんだな、ご縁があるのだなって思うことがあります。 − つづく | |